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by dozeutea

ジョバンニの島

先日、『ジョバンニの島』を観てきました。
感想など少し。未見の方はご注意を。



画面の作り方として、影の少ないシンプルなキャラクター、コントラストが強い背景美術、貼り込みを多用した3Dの3つがそれぞれはっきりと主張した画面になっています。キャラクターより背景や3Dの方が情報量も多く、背景と3Dもまたコントラストの付け方が大きく異なるので、それぞれの要素が違った方向性を志向しているように見えました。
そのため、冒頭の船のシーンでは3Dのカモメがキャラクターと大きく異なる質感になっており、同じ世界内での連続性を感じにくいとも思ったのですが、作中に登場する3Dで組まれた学校の校舎や船舶など、「場」を象徴するものに対して3Dを使うという一貫性が見えてきて、現在でも過去でも同じく3Dのカモメが島・海の一部として使われているように見えました(カモメは繰り返し登場し、海もまた3Dで描写されていました)。
これはときにアンバランスに見えるシーンもあるのですが、ターニャとの別れのシーンをはじめ、(美しい一枚絵ではなく)動き続けて美しい光景を印象に残すというカットがいくつも成功していて、これまで見たことのない映像を体験できるということでこの作品を見る意味が十分過ぎるくらいあったと思います。
背景の情報量の多さも、キャラクターへの視線集中が起きにくく、多用されている画角が広いカットが監視ではなく主観性が強いカットが増えている。一人称的な主観ではなく、傍観者(三人称的)の主観に見えるカットが多いのは、あくまで「(作中で)語られている」物語だからということもあるのでしょうか。

序盤で少女たちがままごとをしているところを二人が飛び込んできて、砂浜に書かれた家の壁がかき消されるというのがこの作品の主題を象徴していて、日本とソ連の垣根も、現実を空想(銀河鉄道の世界)の境界も、親子を分かつ有刺鉄線も、絶対ではないし、飛び越えられる。それを遮ろうとしても遮ることが出来ないのはときに残酷で、ときに希望でもある。
そして、絵を描くこと、空想することは、大きな力を与えて遮るものも飛び越せるかもしれない。絵は人を繋いだし、空想は心の支えになった。つまりアニメは世界をつなぐことが出来るのではないだろうか、という物語のテーマとアニメのテーマがつながる形になっている。この作品をアニメーションによって表現する理由が劇中で高らかに宣言されているように見えてまぶしかった。

作画も伊東伸高さんらしいキャラクターが途中から登場し、湯浅作品に出てくるような軽妙な振る舞いと大立ち回りを繰り返すので、リアリティの振れ幅もかなり広く感じました。森久司さんも『虹色ほたる』の幻影をまさに幻影として描き出している。冒頭の宮沢さんといい、アニメーターのキャスティングの的確さもとても楽しかったです。
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by dozeutea | 2014-02-27 21:59 | アニメ