このブログを書くことに喜びはあったし、出会いや救いもあった。
昔の記事を見ると、自分の見る目の無さを証明するような記事もいくつもあるし、今の自分とさほど大差ないような文章も書いていたりする。
この数年、アニメを浴び続けるような生活から離れていた。
アニメを見ないとブログは更新できない。
この半年ほどで、一緒にアニメに熱中していた仲間にあったり、現在進行形でアニメ熱をもった方々との接点が増えたり、少しずつ自分の中のアニメ熱が戻ってきた気がする。
その火のつきかたは、十何年前と同じで、「自分に見えないものを見えて、自分よりずっと楽しんでる人たちがいる。羨ましい」だった。この数年がすごく勿体ない時間だったように感じた。
アニメを見ないとブログは更新できない。
でも、アニメを見た自分の中に湧き上がる感情を文章にすることに情熱を向けている人たちがまたかっこよく見えてきた。
ブログを更新するためにアニメを見てもいいんだろうなと、久々に考えることができた。
友人たちに強い影響を受けて、8年くらい前にアニメーションにおける芝居を、「仕草」という角度から見ることに重点を置いていた。それは、アニメーションの「意味内容としての実在感」を生み出すものとして、アニメーションの物理的・空間的リアリズムとは異なる相で、「説得力」になっていくものに見えた。そんな仕草を見つけたり考えたりすることは本当に楽しかった。
この数年で、色々な作品で絵コンテレベルから「仕草」を本当にたくさん表現がされるようになったと感じる。では、「仕草」への拘りに稀少性があった時代の見方から、次にどんな見方をしていけばいいのだろうか? 2020年の自分にはそんなテーマが降ってきた。
アニメを見ないとブログは更新できない。
アニメを見れば、きっと新しい気付きに出会えるはず。
ブログを書くという目的で、これから自分はアニメをどんな見方でみていくのか、進んでいってみたい。